『人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?―――最強の将棋AIポナンザの開発者が教える機械学習・深層学習・強化学習の本質』

 

 

将棋AIポナンザの作者・山本一成さん(@issei_y)の最近出版された本。面白かった。

ポナンザの開発の歴史 〜 将棋プログラム開発の歴史 〜 AIの歴史

という感じでポナンザの開発を皮切りに、特に最近のAIの発展を概観していく。

 

(最後の巻末付録になっている、囲碁のプロ棋士・大橋拓文さん(@ohashihirofumi)、著者山本さん、cakes加藤さんによる Alpha Go vs イ・セドル棋士の世紀の対戦(2016年3月)が終わって間もない2016年4月頃行われたふりかえりもおもしろかったけど、これについてはcakes でも初出のもの(今の時点から振り返った修正が入っていないもの)が読めるみたいです。→ Googleの人工知能と人間の世紀の一戦にはどんな意味があったのか? )

 

門外漢なので専門的なことは書けないけど、いちファン(?)として、面白かったことを以下に書いてみる。

 

 

AI >>>>>>>>>>>>>>>>>>> アインシュタイン > 私 >>>> 昆虫

 

面白いトピックがたくさんあったけど、特に印象に残っているのがこの図:

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AI >>>>>>>>>>>>>>>>>> アインシュタイン > 私 >>>>> 昆虫。

 

これは、ヒトの個体間の知能の差に比べれば、他の種との差異(ここでは特にAIとの差異)のほうがずっと大きいということを表している。

 

具体的な例として挙げられているのは、囲碁や将棋の世界のトップ選手達でもまだ見たことのない、想像のおよばない指し手がたくさんあり、すなわち人類にとって未知の領域は将棋・囲碁に限ってさえまだまだ膨大に広がっているという話。

 

Alpha Go は囲碁AIだけど、あらゆる事象について、人間の知性の限界を遥かに超えて把握する存在があるとしたら、、、、自分は世界のほとんどの事象について知ること能わず評価不能なんだと謙虚な気持ちになる。信仰を持ったことがないけど、どこか神様みたいだなと思った。

 

なんとなく、子どもの頃や学生の頃はそんな気持ちで遊んでいた気がするけど、働くようになって、ヒトの個体間で何をどこまで知ってるか比べる機会が増えて、こういう気持ちになったのが久しぶりな気がした。

こういう知的な謙虚さとか、単純にワクワクする感じがあるから、サイエンスや未知の領域について知るのは本当にたのしい。

 

 

ヒトは物語と意味(幻想)にしばられる

Alpha Go と人の戦い方の違いのひとつとして、人間の棋士の指し方は物語や意味にしばられるが、AIはそうじゃない(むしろ物語から自由!)という話がおもしろかった。

圧倒的な計算量の違いによる、探索空間の圧倒的な差異だけじゃなかった。

 

日常的な、個人の生活レベルでもこういうことはよくあると思う。

たとえば、最初の印象として、自分にとってわかりやすいストーリーを想定していたが、データをちゃんと調べてみたら全然違う事実が得られた、とか。

「事実は小説より奇なり」、はちょっと違うか…。

 

ヒトの個体間でも、物語や意味を指向した解釈をする傾向や統計的に物事を考えていく傾向の差があったり、一個体においても時間軸の前後で差異が生まれたりすると思うけど

AI vs 人類のような知能の異質な者同士の間では、極端に差異が出るみたいだ。

 

Alpha Go の正しい指し手で壊れる「物語」なら「幻想」と呼んでみてもよいのじゃないのかな、と思ったけど終始「幻想」という言葉は使われず、「物語」「意味」という言葉が選ばれていた。何が違うのかなと考えさせられる。

Kindle だと検索で確かに一度も出てないことを確認できてほんと便利。)

 

 

機械は目的を設定できない

機械とヒトの大きな違いは「目的」を設定できないこと。

AIに「対戦相手に勝つ」という最終目的をまず与えることが必要だということだけでなく、最終目的を達成するための適切な中間目標を都度生み出しつつ探索を進めるような動きが人間と違ってできないという話だった。

たしかに人間は無意識にでも都度目標を細かく設定しながら動いている。Alpha Go は結果的に強いから気にならなかったけど、実はそういうことが出来ていないらしい。

AIができて人間ができないことやその逆を知るのは本当に面白い。

 

 

最後にTwitterで気になった感想ツイートを引用して終わります。